一般寄附金

若手研究・技術者による斬新で
挑戦的な活動へのご支援

研究者紹介

令和5年度萌芽研究開発制度 超音速分子線を用いたグラフェンガスバリア特性評価のための要素技術開発
― 放射光精密分析で解き明かす材料表面酸化の年レベルの未来予想 -

原子力科学研究部門 原子力科学研究所 物質科学研究センター 放射光エネルギー
材料研究ティビジョン エネルギー材料研究グループ 研究主幹
吉越 章隆

錆などの材料の腐食による損失はGDPの数%におよぶとも言われており、世界全体で見れば膨大な経済損失を引き起こしています。例えば、建材、配管などの各種鋼材では強度が維持できなくなるような事態になるとともに、それを交換する場合でも、時間、費用、交換中の停止など有形無形の損失があります。また、電気・機械、コンピュター中の半導体素子などの電極(電送路)に錆が生じると、機器やデバイスの動作が不安定あるいはできなくなり、自動運転に搭載される機器の場合に起きてしまえば重大かつ深刻な事態を引き起こすことは容易に想像できます。また、電気が流れにくくなることは、エネルギーロスに直結します。さらに、電池の電極、排ガス浄化のような物質・エネルギー変換を担う触媒では、触媒材料が汚れてしまう“被毒”がその性能劣化の原因の一つであり、その回避が求められています。このように、腐食・劣化現象は、公共インフラなど私たちの生活基盤を揺るがす重要な課題でもあり、安全・安心な国土強靭化の実現にも不可欠な研究対象と言えます。さらに、近年の環境・エネルギー分野の問題とも相まって、腐食劣化の解決は、地球規模のテーマにも繋がっていると言えます。

腐食劣化の対象として固体金属材料の酸化を考えます。鉄の錆は身近な酸化による腐食現象の例です。酸化が、空気中の酸素や水などの酸化剤によって進むことは良く知られています。この酸化を防ぐためには、塗膜などの膜によって材料表面を覆って酸化剤との接触を防ぐあるいは酸化反応が起きない酸化物のような物質層を表面に形成するステンレスのような方法が考えられます。本研究では、原子1層からなるグラフェンなどの2次元材料の持つガスバリア特性に注目し、それによる腐食防止機能を調べています。腐食現象を気体分子、例えば酸素ガスと材料表面の化学反応と捉え直し、その原子・分子レベルで起きる微視的世界の様相を大型放射光施設(SPring-8)において探索しています。特に、気相中に存在する並進運動エネルギーの大きな高速で動いている分子は、化学反応の活性化エネルギーを越えるのに十分な場合もあるため、少ないながらも存在すれば、数年にわたって材料に衝突した場合、その影響は無視できません。最近、我々は単層グラフェンに対して酸素分子の並進エネルギーが0.83 eVより大きい場合、グラフェンを透過することを発見しました(J. Phys. Chem. Lett. 11 (2020) 9159.)。そこで、超音速分子線技術によって、数eVの並進エネルギーの分子の数年分に相当する衝突数を僅か数時間で実現することを目指しています。2次元物質および2次元物質で覆われた保護対象の材料物性やガスバリア特性などの表面反応特性を、軟X線放射光光電子分光を使った“その場”化学分析から明らかにし、数年先の材料の化学状態を調べる(予想する)ことを目指しています。

グラフェンの機能を利用するためには、電子状態(ドーピング)制御およびドープ量の評価が重要となります。従来は、ホール効果測定などによる間接的な方法が行われてきましたが、効率的なドーピングを実現するためには活性化していないドープ量も併せて計測する必要があります。特に簡便なドープ方法として注目されている「KOH水溶液浸漬法」では、カリウム(K)濃度がごく微量であることに加え、グラフェンが原子1 層しかないため、従来の分析方法では評価が困難でした。そこでSPring-8を利用した光電子分光法によって微量なK濃度を決定する方法を開発しました。また、化学状態変化を追跡することで、放射光照射によってK脱離が起きることが分かりました。従来は、K量の異なる複数の試料を準備して実験する必要がありましたが、一つの試料からK濃度の変化に依存したグラフェンの電子状態変化を捉えることが可能となりました。そして、グラフェン1層に約1%のKがドープされ、そのうち、約1/8 のKがグラフェンに電子を供給し、グラフェンの機能制御に寄与していることがわかりました。これらの結果は、高効率燃料電池の電極、透明電極や高速半導体デバイスなどの様々な分野の高性能化に応用されると期待され、論文に掲載されるとともに「炭素原子膜グラフェンに含まれる微量元素量の計測に成功」として東北大、JAEA、産総研、静岡大と共同プレス発表されれました[1]。

次に保護膜によって覆った材料の持つ機能性への影響を、電子を固体内部から空間中に取り出す電子源に対して調べました。電子源は、電子顕微鏡や半導体製造のための電子線描画装置、放射光施設等の加速器など多彩に利用されています。電子源の材料として仕事関数の低い六ホウ化ランタン(LaB6)が使われているが、これよりも仕事関数の低い材料を開発できればより多くの電子放出が可能となり電子源の高性能化につながります。また、高い電子放出と同時に、LaB6表面の低い仕事関数を長期間にわたって維持することも重要な課題です。LaB6電子源は真空中で利用されるが、残留ガスによって表面が徐々に酸化されます。酸化したLaB6表面は仕事関数が増加するため、回復させるために1900℃以上の高温加熱が必要ですが、著しく酸化した場合は回復しません。このような背景から、LaB6表面の仕事関数を低下させ、LaB6の酸化を防ぐバリア膜の開発が重要です。そこで、グラフェンおよびグラフェンと同様の二次元物質である六方晶系窒化ホウ素(hBN)に着目し、図1のようにLaB6表面にグラフェンおよびhBNをコーティングし、仕事関数の変化を光電子顕微鏡と光電子分光法を用いて調べました。その結果、コーティングしていないLaB6表面(図2(a))に比べてグラフェンコーティング表面(図2(b))では仕事関数が増加しました。一方、hBNコーティング表面では仕事関数が減少し(図2(e))、電子放出量が増加することを発見しました。また、熱電子顕微鏡を用いてhBNコーティングされた表面が最も電子を多く放出していることを実験的に確認しました。hBNコーティングによる仕事関数の減少の原因を明らかにするため、第一原理計算による電子密度の計算を行った結果、図2(c)のようにグラフェン/LaB6界面には内向き(固体内部方向)の双極子モーメントが界面に生じるのに対し、hBN/LaB6界面では、図2(f)のように外向き(固体表面方向)の双極子モーメントが生じるため、電子を固体外に押し出そうとする力が働くため仕事関数が減少することが分かりました。今回明らかにしたモデルから、理想的な清浄LaB6表面の仕事関数はグラフェンコーティングでは2.2 eVから3.44 eVに増加し、hBNコーティングでは2.2 eVから1.9 eVに低下することが分かりました。また、このメカニズムは表面が少しだけ酸化されている実際のLaB6にも適用できることが分かりました。


図1. グラフェン(Gr)およびhBNでコーティングされたLaB6表面の光電子顕微鏡像と熱電子顕微鏡像。画像の明るい場所ほど電子がたくさん放出されていることを示す。(白いスポットは表面に吸着した異物)[2]

図2. GrおよびhBNコーティングによる仕事関数変調メカニズムの模式図。LaB6とコーティング材が接触すると、両者のフェルミ準位(EF)が等しくなる。このときLaB6にGrをコーティングした場合((a)、(b))はLaB6の本来の仕事関数WLaB6よりもグラフェンコーティング後の仕事関数Wの方が大きくなる。一方でhBNコーティングの場合((d)、(e))、WLaB6よりもhBNコーティング後の仕事関数Wの方が低くなる。第一原理計算による電荷の再分配の様子を(c)と(f)に示した[2]。

LaB6の仕事関数が2.2 eVから1.9 eVに低下した場合、動作温度(1500℃)において電子放出量は約7倍に増加、あるいは、仕事関数2.2 eVのLaB6電子源と同量の電子を放出しようとした場合、動作温度を1260℃まで低減できる可能性があります。このような結果に対して今後は、酸化されていない清浄LaB6表面にhBNをコーティングする方法の開発が必要となります。以上、本研究成果は、LaB6電子源からの電子放出量増加や電子源の長寿命化につながります。また、電子放出量の増加は明るい電子顕微鏡や高効率な電子線描画装置の開発、放射光施設の運転経費削減等につながり、これらの最先端機器を使った物質材料研究に貢献していくと期待されるため、Applied Physics Lettersに掲載されEditor’s Pickに選出されました。また、「電子源からの電子放出量を7倍に増やす表面コーティング技術を開発─電顕や放射光施設の高性能化に期待─」としてロスアラモス国立研、日大、東北大、北京理工大、JAEAと共同でプレス発表された[2]。

ここで紹介したように、現在、材料の腐食、機能劣化の防止に加えて、材料の機能をより高度にするという新たな発想がさまざまな分野に応用されつつあります。今後は、多様な2次元原子層コーティング材料に対する研究開発に取り組んでいきたいと思っています。以上の材料腐食防止に向けた2次元材料応用に関する発展的研究テーマが、令和6年度科研費基盤(B)に採択されました。萌芽研究制度により2次元材料の持つガスバリア特性と材料機能の誘発に関する研究の先駆けとなる重要な研究が実施できたことに深く感謝します。

[1] S. Ogawa, Y. Tsuda, T. Sakamoto, Y. Okigawa, T. Masuzawa, A. Yoshigoe, T. Abukawa, T. Yamada, Appl. Surf. Sci (DOI:10.1016/j.apsusc.2022.154748__); 2022年9月16日プレスリリース.

[2] H. Yamaguchi, R. Yusa, G. Wang, M. T. Pettes, F. Liu, Y. Tsuda, A. Yoshigoe, T. Abukawa, N. A. Moody, S. Ogawa, Appl. Phys. Lett. (https://doi.org/10.1063/5.0142591); 2023年4月4日プレスリリース.

あなたの寄附が研究を前進させます。
ぜひご協力ください。

寄附をする
一般寄附金による研究のご紹介